中塚典子 (English)

救いの証

 

 わたしが初めて「キリスト教」に触れたのは、多分まだ小学校にも上がらない幼いころでした。遠方に住んでいたわたしの伯母(父の姉)がクリスチャンで、わたしにクリスマスのカードを送ってくれました。伯母はまだそのころ独身でしたから、姪のわたしをかわいがってくれ、何かと気にかけてくれていたのです。しゃれた美しいカードに心惹かれた幼いわたしは、そこに書いてある「メリークリスマス」の意味は何だろうと、漠然と考えました。

 小学生になると、遠縁のピアノの先生についてピアノを習うようになりました。ご夫妻でピアノを教えておられた先生は、ご一家で日曜日には礼拝に通うクリスチャンでした。あとで知ったことですが、教会学校の奉仕もなさっていたようで、ピアノを習いに来る生徒にも福音を伝えようとされたのでしょう、順番を待つ部屋には、子ども向けの聖書や、聖書に関係のあるお話しの本、またみことばの日めくりなどもたくさん置いてありました。本好きだったわたしはそれらをせっせと読み、「イエス様という人は、とてもやさしい方なんだ。」とか、「聖書に書いてある裁きはとても恐ろしそうだ。そんなのが来たらどうしよう。」とかいろいろ思いました。

 小学校2年生のときには、どこから聞きつけてきたものか、母はそのころはまだ珍しかった子ども英会話教室にわたしを連れて行きました。カナダ人の宣教師夫妻がなさっていたクラスで、英語よりもそこで聞いた聖書の話の方が印象に残りました。帰国なさったので、多分1年も通わなかったと思うのですが、その30年後ぐらいに再会するチャンスがあり、わたしがクリスチャンになっていたことをとても喜んでくださいました。

 また同じく小学生のときに、父が「児童文学全集」というものを毎月買ってくれるようになりました。中でも気に入ったのが「若草物語」でしたが、みなさまご存知のように、登場人物の一家は牧師家庭で、クリスチャン精神があちこちにあふれているような物語です。他にも「トムソーヤーの冒険」、「赤毛のアン」、「三銃士」、「巌窟王」、「ああ無情」(今映画等で有名な「レ・ミゼラブル」)など夢中で読みました。主人公たちは当然のように教会に行き、当然のように祈り、当然のように聖書の言葉を語りました。わたしはそのころは、自分もすっかり仲間のような心持になってしまい、本の主人公をまねてお祈りをしてみたりもしたものです。

 それ以降特に信仰の面で何かはっきりした出来事があるわけではありませんでした。でも高校生のころ、人並みに自分の将来や自分の人生などについて考えるようになると、教会に一度行ってみたいと思う気持ちが抑えられなくなり、ついに、ある日曜日、そのころ知っていた教会、あのピアノの先生のご一家の所属する教会の門をたたいたのです。高校生会のスタッフリーダーはピアノの先生のご長男で、三浦綾子さんの本を貸してくださいました。わたしがずっとその周りをうろうろしていた「聖書の教え」が何なのかがはっきりわかり、断片的な知識が整理されました。わたしがずっと求めていたものはこれだとすぐにわかり、その2か月後のイースターには信仰告白をしてバプテスマを受けました。

 当然ながら、生きていくことは大変です。順風満帆とばかりは行きません。けれどどんなときにも、神様は決してわたしを見捨てられませんでした。いつもいつも、どんな小さなことにも助けの手を伸べてくださり、導いてくださっています。

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」(Ⅱテモテ213